俳優・佐藤浩市が拒否した父・三國連太郎の『散骨』

海洋散骨 墓地

俳優・佐藤浩市さんの父・三國連太郎氏は、1923年(大正12年)1月20日 生まれ。

戦後、収容先の中国から帰国後、さまざまな職業を経験したのち映画界入り。

数々の名作に出演していますが、なかでもシリーズ作『釣りバカ日誌』の鈴木社長役がはまり役となり、老若男女を問わず、多くのファンに親しまれました。

しかし、私生活は自由奔放で、女性関係も多く、結婚は4回、3番目の妻との間にできた子供が、佐藤浩市さん。

そのため、幼少時代から母の手で育てられた佐藤浩市さんと、父・三國連太郎氏との確執は、最後まで消えなかったようです。

三國連太郎の希望だった散骨をしなかった佐藤浩市

文藝春秋2019.5号に、佐藤浩市さんが、父・三國連太郎の七回忌を機に、亡き父への思いを語っています。

記事の冒頭は、聞き手でノンフィクション作家の宇都宮直子氏のこんな質問から始まっています。

”お父さまの存在を思い出すのは、どんなときですか”

この質問に対し、佐藤浩市さんは次のように答えています。

(要約)”家に仏壇があるので、信心深い人間ではないですが、朝起きて仏壇に線香あげ、「親父、今日も家族みんなの健康を頼むよ」とお願いするときに、思い出さざるを得ません。”

三國連太郎とは長年の確執があったとしても、父親として故人を敬う胸のうちが伝わってくる言葉です。

仏壇に向かい、線香をあげ手を合わす、亡くなった親に対して祈る気持ちは、宗旨とは関係ありません。

そんな、三國廉太郎が望んでいたのが、「散骨」です。

しかし、佐藤浩市さんは、父の希望であった散骨をやめたのです。

父の気持ちを感じ取った佐藤浩市

父の散骨について、希望をかなえなかったことについて、佐藤浩市さんは次のように説明しています。

(要約)”「なんで叶えてやらないんだ」と言われればそれまでだけど、なかなかできない。一緒にいる時間が少なかったから余計にそう思うのか、まだ答えが出ない。自分の思いとしては、墓を作ってあげたいので、散骨の希望は、僕が勝手にやめました。”

三國連太郎は、70代の後半から、いい父親でなかったことを自身が認めていて、お墓のことやその後のことを佐藤浩市さんに頼まなければならないことを申し訳ない、と感じていたそうです。

佐藤浩市さん自身も、父・三國連太郎氏とは生活を共有している実感がなかっただけでなく、”食事を一緒にするのが苦痛” とも語っています。

 

三國連太郎氏の心になかに、父親らしいことをしてこなかったことへの自責の念が残り、それが”散骨 ”を希望した背景にはあったようです。

佐藤浩市さんが散骨しなかったのは、そんな三國連太郎氏の本心を読み取っていたからでしょう。

また、どんなに強い確執があったとしても、亡くなった父を思う子の気持ちは、だれしも変わらないのかもしれません。

『散骨』の真意は?

三國連太郎氏のように、心のなかでは墓石を建てて欲しいと思っていても、それまでの親子関係を考えると、口にできない人もいるはずです。

また、佐藤浩市さんにとっても、親の本音をくみとり、故人を弔うための祈りの場を作ることで、三國連太郎氏との生前の確執を精算したのではないでしょうか。

生涯独身者であれば、散骨したいという思いは、純粋な願いから生まれたものかもしれません。

しかし、家族がいる場合、残される家族へ負担をかけないために、散骨を選択した可能性もあります。ときには、単にコスト面だけで、家族が散骨を選択することもあるでしょう。

通常のお墓であれば、あとから改葬によって埋葬場所を変更したり、分骨することも可能です。

しかし、一度散骨をしてしまうと、元へもどすことができないことを理解しておく必要があります。

まとめ

散骨するのは、簡単です。費用もかからないし、あとも楽です。

故人が ”海が好きだった” というなら、話は別ですが、費用だけで海洋散骨を選択したときに、後悔するのは、残された遺族かもしれません。

あれだけ確執があった親子でも、親への祈りを捧げたい、その祈りを捧げる場所として、墓を作っておきたい気持ち、とてもよくわかります。

本人が散骨を希望しても、家族や一部の遺族が反対する話はよく耳にします。

樹木葬や散骨をしてしまうと、改葬や分骨を後からできなくなってしまうことも、遺族が反対する理由の一つです。

樹木葬や散骨をする前に、遺骨の一部を分骨し、「ミニ骨壺」と呼ばれる一回り小さい骨壺に入れ、手元に置く方法もあります。

墓は、単に故人の遺骨を埋葬するだけの場所ではありません。祈りを捧げる場があることで、遺族が故人との繋がりと精神的な安らぎを感じることができる場所でもあります。

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