「七人の刑事」の俳優から経営者へ転身したM氏のライフスタイル

七人の刑事・台本 ライフワーク

画像は、M氏が出演したTBSテレビ「七人の刑事」の台本です。

今、東山紀之さんが主演しているドラマ、「刑事七人」(テレ朝)とはまったく別。50年以上前のテレビ番組で、オープニングテーマの男性のハミングがとても有名でした。

TBS「七人の刑事」の最初のシリーズは、1961年10月4日から1969年4月28日まで放送されましたが、この台本は第84回「夜の傷あと」のものです。

「七人の刑事」は、警視庁捜査一課の活躍を描いたドラマですが、「刑事七人」も舞台は同じく警視庁刑事部捜査一課(12係)。設定が似ているのは、偶然でしょうか。

 

M氏と呼ばせていただきますが、建築設計事務所の経営者として、今も都内の再開発ビルなどの設計にたずさわっています。

俳優から建築設計事務所の経営者へ見事に転身し、実年齢が信じられないほどの若々しさで、今も現役で活躍されている姿は、人生の大先輩としてとても魅力的です。

そんなM氏のライフスタイルの秘密をお伝えしたいと思い、同氏の許可を得て記事にしました。

俳優から設計事務所の経営者へ転身したM氏

M氏は、当時東京・杉並区阿佐ヶ谷にあった劇団アルス・ノーヴァに所属したことがあり、舞台俳優として活動。野沢那智が主演した、アルス・ノーヴァ最初の演目、カフカ「審判」にも出演しています。

アルス・ノーヴァ・パンフレット・野沢那智

当時の「審判」のパンフレットには、寺山修二のコメント(画像)が寄せられ、クラリオン、サンヨー、ワコール、資生堂化粧品や丸井クレジットなど、大企業のCMが掲載され、演劇の舞台が社会的にもかなり注目されていたことがわかります。

アルス・ノーヴァ・「審判」寺山修司コメント

生中継だったテレビドラマ

七人の刑事・台本・出演者

「七人の刑事」の台本には、堀雄二芦田伸介の名前があります

M氏が「七人の刑事」に出演していたころのテレビドラマは、すべて生中継

スタジオ内にいくつかのセットを作り、俳優はセットの間を往ったり来たりしながら放送したようです。もちろん、生中継ですから、失敗は絶対にできなかったそうです。

台本のM氏のセリフの箇所には、ところどころ書き込みがありましたが、他の出演者のセリフもすべて覚えていたとのこと。

若いときから、芦田伸介や野沢那智などの有名人と共演するなど、そのまま続けていれば、俳優として成功したのでは、と思われるキャリアですが・・・。

俳優を辞めたキッカケ

俳優としてこれからというときに、建築設計事務所を経営する父親から、後を継がないかと誘われたのがキッカケで、建築設計の道へ転身。

M氏のデザインや美に対する感性には、独特の個性とセンスがあり、そんなM氏の才能を建築にも生かせると見抜いた父親からの提案だったそうです。

その父親の判断が間違いでなかったことは、その後、大規模再開発の商業ビル、大手企業の社屋、金融機関の店舗や自動車メーカーのショールーム、さらには神社など。幅広いジャンルの建築設計に携わったことからもわかります。

 

TBSテレビ「七人の刑事」に出演していたといえば、M氏の年代が想像できるかもしれませんが、建築設計では今も現役。事務所では、スタッフとの打ち合わせが日課。

現役を続けていることも元気の秘訣ですが、もう一つの健康法がウォーキング。といっても、近くの公園じゃありません。

東海道五十三次あるき旅が健康の秘訣?

東海道53次・全国の街道・クラブツーリズム

M氏が、クラブツーリズムが主催する「東海道五十三次あるき旅」に参加したのは、同ツアーの3回目だったそうですから、20年以上も前のことでしょうか。

M氏の”街道あるき”は、東海道から始まり、その後、「甲州街道」「日光街道」を完歩しています。

現在のクラブツーリズムの歴史街道あるき旅の要項を見ると、東海道全32回で約2年となっていますが、M氏の場合、仕事のスケジュールの関係などで、約2年半完歩!

また、M氏が3回目のツアーに参加したときには、東海道の旧道をそのまま歩いたそうですが、現在のツアーでは、旧道を歩かない区間もあるとのこと。

普通の観光だと、見過ごしてしまうような場所を、ナビゲーターがていねいに解説してくれるのがとても良かったと語っています。

また、クラブツーリズムのHPでは、ツアー定員30名となっていますが、M氏が参加した当時の東海道あるき旅の参加者は約40名。かなりの大人数ですね。

 

甲州街道も旧道だったそうですが、全15回約10ヶ月で、区間は短いけれども旧道あるきは東海道より厳しかったとのこと。

以前、テレビ番組の企画で、草野仁さんが甲州街道の旧道を歩き、途中、スニーカーの底が壊れて完歩を断念したことがあったことを思いだしました。

日光街道は、現在の国道4号線とほぼ同じ道だそうで、すべて旧道をいく東海道が一番楽しかったとのことでした。そこで、街道あるき旅にはまってしまうようです。

クラブツーリズム・歴史街道あるき旅

<クラブツーリズムの歴史街道あるき旅>

東海道 全32回(約2年)
中山道 全33回(約2年半
甲州街道 全15回(約10ヶ月)
日光街道 全17回(約1年)
奥州街道 全5回(約5ヶ月

 

<クラブツーリズム・東海道あるき旅の所要年数>
東京から近い区間では、すぐに現地集合できますが、離れるにつれ集合場所までの距離が遠くなり、やがて宿泊が必要になりますから、募集要項での所要年数より多めに考えておいたほうが良さそうです。

 

クラブツーリズム『歴史街道あるき旅』の仲間

M氏は、クラブツーリズム「東海道あるき旅」に一人で参加したそうです。

しかし、何度も同じメンバーとあるき旅を続けるうちに仲間が増え、途中からは同じバンダナを巻いて歩いたとのこと。最終的には20人ぐらいのグループに。

今でも、定期的に関東周辺の山などを歩いているそうですから、メンバー全員が歩く楽しさに、かなりはまってしまったようです。

クラブツーリズムの「あるき旅」が健康法

M氏だけでなく、クラブツーリズム東海道を歩いた方は、全員が”体力がついた”と感じるようです。

1日に歩く距離は、10kmぐらいですが、参加される方は普段歩かない方が多いようですから、この積み重ねが大きな効果につながったようです。

一度、歩く楽しさを覚えたら、病みつきになるのはわかります。M氏の印象がとても若いのは、クラブツーリズム「歴史街道あるき旅」のおかげ?

私も、休日は買物以外、ほとんど歩くか自転車! 経済的だし、健康には最適です。

まとめ

M氏の仕事での転身は、他の人の参考にはあまりならないかもしれません。

簡単に書きましたが、M氏が経営者としても成功したのは、デザインの才能だけでなく、リーダーシップや協調性や観察力、そして人間的な魅力があったからだと思います。

そんなM氏の人間的な魅力は、クラブツーリズム「歴史街道あるき旅」での、他の参加者とのその後のお付き合いからも伝わってきます。

年齢を感じさせず、楽しく仕事を続けていることは、人間関係を大切にし、いつでも集まる仲間がいることと無縁ではないようです。

高齢になってからの一人旅では、打ち解けた仲間ができることはまずありません。

しかし、クラブツーリズム「歴史街道あるき旅」のように、目的を持って同じ仲間で旅を重ねることで、年齢に関係なく新たな出会いが生まれることを、M氏のライフスタイルから教えていただきました。

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